日記。

日々の徒然を書き留めてます。

祖父の死③

10/21(金)

午前2時起床。相変わらず気分が優れない。YouTubeをダラダラ見続けた。ありがたいことに少しは気分を紛らわすことができた。辛いことに直面したとき、その現実から目を背けるように無目的にスマホを眺め続けることもリカバリー方法の一つだと確信した。なんか、このまま現実逃避して時間が過ぎるのを待つこともできた気がした。そうしたら少ないダメージのまま祖父を忘れられることができるかもしれない。でも、やっぱり僕は”痛がり屋”だ。悲しみが過ぎ去るのをじっと耐えるよりも、ちゃんと向き合って、自分の腹にナイフをグサグサ刺す勢いで悲しんどきたい。

朝5時、犬の散歩に行く。気持ちいい。つい最近届いた、suzuriでデザインしたスウェットを着ていく。飼い犬の写真を使った緑のスウェット。この姿で散歩している姿は傍から見たら超愛犬家に見えるんだろうな。ああ、これおじいちゃんに見せたかったな。

再度就寝し、お昼すぎに祖父の部屋に行く。知らない顔も含め既に何名か集まっていた。訃報はほうぼうに行き渡っていたようで、岡山県にいた知り合いもこの日わざわざ来てくれた。「〇〇会長(祖父)とは50年以上の付き合いで、よく可愛がってもらいましたよ」ふさふさな白髪をきれいに撫で揃えた、かなりご年配の方が言った。そうか、と思った。僕らはいくら孫といえど祖父と一緒にいた期間はせいぜい20年。祖父の目線から見ると人生の後半25%、”祖父と孫”という関係で知り合った仲に過ぎない。食後のデザートといっても差し支えないのではないか。対して目の前にいるこの人は、1人の人間として、また、ビジネスを超えた関係でこれまで祖父と付き合い続けた。そう考えたとき、僕の頭の中で”おじいちゃんの死”から”〇〇(祖父の名前)の死”に変換された。戦時中に生まれ、戦後の浅草で少年時代を過ごし、見合い結婚し、店を構え、人を雇い、仲間ができて、娘を育て、孫ができて・・・といった、時代の中を走る1本の歴史を感じた。長い長いマラソン。その線が途絶えることは、きっと想像もできないほど重く、遠いものなのだろう。

再度祭儀場へ向かう。祖父の遺体にはエンバーミングという化粧が施されており、生前と変わらず、本当にただ寝てるだけに見えた。

喪主である母は今日も葬儀の流れについて確認していた。その横にはずっと会っていなかったおばさん夫婦。僕が高校に上がる前まで、2人は祖父のお店で長く働いていたが経営方針の違いか何かで仲違いし、絶縁状態が今日まで続いていた。正直何が原因でこうなったかは定かではないが、祖父は良くも悪くもアクの強い人間だった。おそらく生きているだけで周囲に敵と味方ができてしまうのだろう。少なくとも僕ら孫は圧倒的な恩恵を受けていた。そしてその大きな反動はどこかに向いていたはずだ。正直、彼らの目に僕らがどう映るかは見当もつかない。不安だ。しかし、いざ話してみたら案外スムーズに元の関係に戻れた。「今何の仕事をしているの?」「そっちは調子どう?」「妹ちゃんももう大学生かあ」「え、大学辞めちゃったの!?」時間を忘れるほど話し合った。祖父を起点に縁が離れ得た仲だ。原因がいなくなってしまえばいがみ合う必要はなくなる。悪いことばかりじゃないんだな。ここでもまた、人間関係が再構築しそうだ。

家に戻り、再度現実に押し戻され苦しくなる。まだ48時間しか経ってないのか。過去の記憶ばかり思い返しているからか、本当に時間が長く感じる。起きている時間だけ辛いだけなので、今日も早々に寝る。f:id:gaku-diary:20221030040201j:image