日記。

日々の徒然を書き留めてます。

”責”

2/8(水)
会社帰り、僕には3つの選択肢がある。1つはそのままDOUTORに行き眠くなるまで作業orダラダラ。2つ目は実家に帰り就寝。そして3つ目は祖父の家。後半2つの使い分けに大した理由はない。駅から近いのが祖父の家、というくらいだ。
昨日の朝はそのまま祖父の家へ帰った。お店の準備をしている母を手伝う。兄の働き具合や労働時間の変更など、直近の内部事情を聞いた。なんか、かなり調子が良いみたいだ。祖父が亡くなったときに”責”が回って来た感覚があったが、それもしばらく後になりそうだ。ちなみにこの”責”っていうのは一時的な僕の造語で、責任みたいなものだと思ってくれればいい。
この”責”について説明したい。例えば10人のチームがいて、そのチームの運営・維持には10の働きが必要だとする。普通に考えれば1人あたり1の働きさえすれば良いのだが、現実ではそうもいかない。実際には2.0くらい働く人が2人くらいいて、0.1も働かない人が2人いる、という状態が往々にしてある。これは働きアリの法則と呼ばれており、個人の能力に関係なく集団で生活させると構成員が①よく働く2割、②時々サボる6割、③ずっとサボっている2割に分かれる法則だ。さて、この法則、働かないタダ飯食らいが2割もいるくせに、実は組織運営の観点からかなり理に叶っている。というのも例の働かない2割(僕を含む)、彼らは非常時に出動する”保険”の意味合いがあるのだ。いわば、打たれ強い組織づくりに一役買っていることになる。
前置きが長くなってしまった。先程の”責”が回ってくる、という表現。これは祖父が亡くなったことにより、今まで10人で運んでいた荷物を9人で運ばなくてはいけなくなったこと。つまり非常用に保管されていた僕の出番が来た、と思った次第である。これまで散々祖父に食わせてもらったから、帰属意識はあのお店に置かれてしまった。
・・・にも関わらず。最近お店の調子がかなり良いらしい。売上も上がっているし、体制も整備されてきている。(あれ・・・俺の出番なし?)残念なような、安心なような。というわけでまだまだ余暇が許されている状況だ。さーてどうしよう。