日記。

日々の徒然を書き留めてます。

ベトナム1日目

1/16(火)

いよいよ長期海外旅行スタート。直前まで体調を崩しフラフラになりながら飛行機に乗り込む。ありとあらゆる不安を抱え、なんなら1週間くらいで帰っちゃおうかなと思っていたが、ベトナムに着いた瞬間に体調が回復した。良かったあ。それもそのはず、こっちは気温33℃もある。鼻水も止まったし、凍え死ぬこともない。極寒のジャパンとは今しばらくお別れだぜ。

f:id:gaku-diary:20240117015722j:imageホーチミン市の空港に降り、さっそく予約したゲストハウスまでタクシーで向かう。タクシーはアプリで呼ぼうとしたが、長旅の疲れもあって声をかけてきたドライバーにノコノコ着いて行ってしまった。機内の気圧のせいで空港から出ても耳の詰まりが治ることはなく、この世の全てがくぐもっていた。ベトナムの通貨は100,000ドンで約600円。分かりにくいことこのうえなく、もたもたしている僕からドライバーの仲間が勝手に財布から運賃を取り出してしまった。『Yon are handsome!』去り際にニッコリ言われ、親切な国だなあと思った。こっそりと200ドル抜かれていることに気付いたのは宿についてからだった。日本円で約30,000円。友達から餞別としてもらった、貴重な米ドルだったのに。

ゆっくりWi-Fiに浸かったあとは周辺を散策し、合計1,000円分の食事を平らげる。ベトナム出国までは残り1週間。食費、観光費もろもろ考慮しなければ。f:id:gaku-diary:20240117015728j:imagef:id:gaku-diary:20240117015732j:image

次回からこっちで日記更新しま↓

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食べる。

1/7(日)

僕の数ある関心ごとのひとつに"動物との関わり"という項目がある。子供の頃から動物が好きだったこともあり、殊に人間とその他動物の関わりに意識が向くことが多々あった。幸いにも鹿児島のド田舎に住んでいる父方の祖父は自宅で鶏を飼っており、その場で潰してご馳走してくれたのもあって、死ぬまでにやることリストに【・肉を食べる全工程を遂行する】が入ることとなった。

実は4年前にやらせてくれと頼んだことがあるが、肝心な〆る(喉を掻っ切る)作業をしたのは祖父だった。僕は最初から最後までやりたかったのでその場で意を唱えたが、無視された。f:id:gaku-diary:20240109145827j:image

時は来たれり。今回こそはと、〆る作業は僕がやることを入念に話していざ出陣。小さな鶏小屋に入り、頃合いの雌鶏に狙いを定めた。だがいざ捕まえようとすると逃げられる。確かにこの時僕はビビっていたと思う。これから殺す相手を捕まえるんだ。精神的負荷が重くのしかかった。だがしかし、ひき腰になっては一生肉は食えない。えいやっ!と首根っこを掴むと鶏は羽をバタつかせ、他の者たちもそれに共鳴したかのように暴れた。「足を持てぃ!」と祖父。久しぶりに会った時は杖をついて弱々しくなっていたが、この時ばかりは気迫が感じられた。僕はなんとか足を掴みぶら下げることに成功。鶏はあっさりと大人しくなった。

鶏の足にロープを結び、家の裏のフェンスから下げた。さあ、いよいよ包丁で喉を掻っ切る時だ。と、思ったのも束の間。「どれ。」と祖父があっさりとその工程を済ましてしまった。あっけに取られる僕。まさに、まさにその工程こそ心残りであったのに。少々面食らってしまったが時間は巻き戻せない。パックリ割れた気管が剥き出しになった喉と、口から、蛇口を緩くひねったように血が出ている。目をかっ開き、時折バタバタともがいていたがそれもすぐに止んだ。

まずは大きなタライに鶏の死体を置き、上から熱湯を浴びせる。最初は羽毛が水を弾くが、何回か裏返しているうちにある程度お湯が浸透するようになった。その後は祖父と羽をむしり続ける。首付近の羽をむしった時に喉の傷口から白い気管と固まった血がくっきりと見えた。

くちばしの先にある鼻に針金をひっかけ、バーナーで表皮を炙る。皮膚が収縮し、内部の水分がパチパチと蒸発する音が聞こえた。焼き鳥屋の匂いがあたりに蔓延し、目の前の鶏が一気に"肉"になった。その後はひたすら骨を意識しながら解体作業。包丁だけでなく、時には指、斧を使ったため、手首付近まで脂でヌルヌルになった。まだほんのり温かい内臓の奥に指を入れ、飛び出た腱の端っこを奥歯で引っ張り胸肉を剥離させる。血と脂にまみれながら、あらゆる手段を用いて肉を分解した。ふと、曇り空の隙間から太陽が近くの山を照らした。肉から顔を離し、寒風を肺いっぱいに吸い込む。これが土地に生きる人間の景色なのだと思った。f:id:gaku-diary:20240109150120j:image
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夜、さっそく鳥刺しにしていただいた。市販のものと違い形も不恰好で、ところどころに黄色い脂も付着している。しかし、これがまた本当に美味かった。調理の難しい骨付きの部分は出汁にしてスープにし、臓物も足も、可食部はできるだけ平らげた。夜も更け祖父と一緒に芋焼酎を飲みながら、再度〆る工程について話したが、これまた無視されてしまった。f:id:gaku-diary:20240109150136j:image
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帰ってきた後

1/5(金)

年も明け、長期海外旅行もいよいよ10日後に控えた。年末に仕事を辞めてニート生活5日目。元々少なかった脳内の仕事枠(ワークわく)が遂に消え去る。代わりに僕の脳を占める関心ごとはもっぱら海外旅行のことと、帰ってきた後のことだ。帰ってきた後。仕事は?彼女は?住む場所は?正直今考えてもしょうがないとは思う。人の価値観は経験・知識に依存して変化するものだとしたら、おそらく"初めて"を短期間かつ大量に浴びることとなる今回の旅行の後、僕は全くの別人になっている可能性がある。いわば大型アップデートだ。そんなわけで今日は父の実家がある鹿児島県へ行く。今生の別れになるかもしれないからね。f:id:gaku-diary:20240109145552j:image

受精したから生まれただけの話じゃ

12/10(日)
彼女と本屋をぶらついていた時、ふとそれは目に入った。本の帯表紙にデカデカと書かれている『やがて死ぬのになぜ生きるのか』。まさに僕が大学時代に直面した人生最大の疑問が、そのままの文言で本の帯表紙になっていた。本のタイトルは『歎異抄ってなんだろう』。歎異抄というのは、鎌倉時代に生きた仏教徒親鸞の教えを、その弟子が分かりやすくまとめた仏教書だ。これはその解説書のひとつ。歎異抄の存在は既に知っており20歳の時に購入したのだが、まあなんて書いてあるか分からずちんぷんかんで本棚の隅に追いやっていた。
18歳の時、次第に大学に通うことがキツくなり始めていた。これまでの人生を制度や慣習に盲目的に従って過ごしていたせいで、突如与えられた自由に苦しむこととなったのだ。大学を卒業し就職しなければならない。けれども本当はそうじゃなくても良い。精神的には解放されていたのに体がどうも追いつかなかった。その時頭に浮かんだ疑問が「結局最後は何もかも無に帰るのに、なぜ1限に間に合うよう起きなきゃいけないのか」だった。
あれから自分なりに悩み考え、今はあの時の疑問を単なる進化論的な自然現象として片付けることに成功しつつある。もちろん体系的にがっつり学んだわけではないが、僕の頭を納得させるには充分な論理だと思う。だから今は「やがて死ぬのになぜ生きるのか」と問われても、「生きることになぜもクソもあるかい!受精したから生まれただけの話じゃ」と一蹴できる。しかし同時に、本当にこれが世界の全てなのだろうか、と思わなくもない。というのも、進化論に基づいた物事の説明は異様なまでにシンプルだ。哲学的な深掘りさえしなければ(意識とは何だろう、的な)大体の因果を自然淘汰の結果と言い換えることができる。自分的にはこれで充分だし99%納得しているのだが、今後残りの1%に出くわさないとも限らない。もしそんなことが起これば、たちまちに自分が崩れてしまう気もする・・・と、まあ、長々と書いてみたが、ここで一回原点に帰り、改めて数年前の疑問に向き合ってみようと思った。それに、科学がまだ不確かな時代に人々が何を頼りに生きてきたのかを知ってみたいしね。ヨシ、購入。f:id:gaku-diary:20231219100539j:image

バリ島旅行⑨

10/20(金)

バリ島旅行最終日。昨夜は満天の星空のもとキャンプファイヤーをした。抑えきれないテンションのせいで小躍りしたりピョンピョン跳ねたり、最後は地面に寝転がって深呼吸。ワッハッハ。f:id:gaku-diary:20231205082728j:image泊まったホテル(コテージ)の周囲には飲食店はなく、娯楽施設もない。なんなら街灯もない。特にやることなかったので早めの就寝。

んで、早めの起床。時計を見ると朝5時でまだ太陽は昇っていない。お湯を沸かし、コーヒーを淹れ、上着を羽織る。そのまま外の椅子に腰掛け朝日を待った。f:id:gaku-diary:20231205082516j:imagef:id:gaku-diary:20231205082538j:imageワッハッハ。

f:id:gaku-diary:20231205082603j:imagef:id:gaku-diary:20231205082604j:imageんで、なんやかんやあって翌日の朝に帰国。僕は夜から仕事。完っっっ!!!

バリ島旅行⑧

10/19(木)

王宮を眺めたあとは近くの市場まで足を運ぶ。土産品と衣類が所狭しと並んでいる通りをホヘ〜っと言いながら歩いた。僕の着ていた安物のシャツは、気付けば爆発に巻き込まれたエッチなお姉さんドレスのごとくビリビリに裂けていたので新しいものを買うことにした。強気な価格交渉の果て、ガネーシャがデカデカとプリントされたうっすいシャツを購入。多分本当はもっと安く買えたのかもしれないけれど、ただ買うためだけに時間を費やすのも癪なので良い頃合いで切り上げてやった。f:id:gaku-diary:20231204095133j:imageそれから山道を登ること1時間。今度は有名なライステラスへ。なかなかにてんこ盛りな1日。課金制で空中ブランコもろもろ体験できたが、体力と相談し無課金ユーザーとして楽しむことにした。段々になっている向かいの田んぼにはポツポツと農作業する人と電動草刈機でブンブン言わせてる人が見えた。良い景観だと思うが、どこか虚しさを感じた。f:id:gaku-diary:20231204095154j:image遂に目的地のキンタマーニ到着。名前からしてテンションが上がってしまう。バリ島内でも標高の高い場所にいるので視界の上半分は全部空だ。地上とは打って変わって清涼な空気が流れている。おまけに気温も少し低い。青い空。筍のように突き出てる寺院。無味無臭の透き通った空気。五感を解放してこの環境を貪った。アドレナリンが放出する。心臓がドキドキする。涎が出てくる。そう、コレだよコレ。あなたの好きなことは何ですか?と聞かれ、昔はウンウン考えて納得しないままポショポショと何か答えていたが、今は心の底から楽しいと思えることがある。これこそ海外旅行の醍醐味だ。知らない景色に触れることは絶対的に楽しいんだよ。f:id:gaku-diary:20231204095237j:image

バリ島旅行⑦

10/19(木)
日記がサボりがちになってる。頑張って週に一回は投稿を試みているがなかなか上手くいかない。
今日は今いるデンパサールを抜けて北上し、北部キンタマーニ高原の宿泊所まで行く予定だ。f:id:gaku-diary:20231129090501j:imageとてもいいホテルだった。お別れを告げ車に乗り込む。てかこの配車アプリGrab、はちゃめちゃに便利すぎる。もはや時代の転換点だろこれ。
目的地までは、気になっていた観光地に立ち寄りながらの移動。まずは高級コーヒーで知られるコピ・ルアクを堪能しにカフェが併設されている農園へ。ちなみにコピ・ルアクというコーヒーはジャコウネコの糞から取り出したコーヒー豆を焙煎して作られており、インドネシアの島々で生産されている。豆はジャコウネコの腸内で発酵が進み、独特な風味になるんだとか。f:id:gaku-diary:20231129090529j:imageれどれ・・・全く苦くないっっ!むしろほのかな甘みさえ感じるぞ。コーヒーの概念がグイっと拡げられた。他にも珍しい紅茶やコーヒーを提供され、豪華なカフェインビュッフェが始まった。絶対に飲みきれない量にバリ人のサービス精神が伺える。テリマカシ(ありがとう)。
お次はウブド王宮。の、近くのイタリアンレストラン。ここでもピザを食す。美味い。ちなみにバリ島に来てからこれで3枚目f:id:gaku-diary:20231129090555j:image

f:id:gaku-diary:20231129090552j:imageウブド王宮はそこまで敷地面積が広いわけではないので、滞在時間はおよそ15分くらいで済んだ。王宮内は多種多様なバリヒンドゥー教の像があったが、共通している特徴があり、それはまん丸の目と、口から飛び出した長い牙だ。どこか既視感があったが、そうだ、沖縄のシーサーに似ている。沖縄とはだいぶ離れているが、南国の島国という点では一致している。文化の伝搬?それとも気候由来の習慣?うーん、ちょっと気になる。好奇心が刺激される。きっとこういうのが"やりたいこと"のとっかかりになるんだろうな。だとするとこれまでの僕は経験不足すぎたんだ。
〜続く〜