日記。

日々の徒然を書き留めてます。

ディズニーランドに行ってきた

7/8(土)
ついに彼女とディズニーデートしてきた。このことは僕にとって大きな転換期となったかもしれない。というのも、僕はこれまでずっとディズニーランドというものを食わず嫌いしてきたからだ。別に個人的な恨みなどはないのだが、なんとなーくキラキラした雰囲気とか、あるいは魔法にかけられて〜的な園全体のコンセプトが体に合わないと思っていた。ただの逆張りオタクといえばそれまでなのだが。自己の不充実から何かを批判したかっただけなのかもしれない。
彼女がディズニーデートを提案したとき、僕はあっさりと合意した。特段今は上記のような思いは持っていないし、その時は、こういう機会でもなきゃ今後行くことがないだろうと思ったからだ。第一、ディズニーが好きじゃなくて・・・みたいな自己主張を聞いてくれる大衆はもういない。黙っていても生存権は保証されているのだ。風呂に入りヒゲを剃り、朝の7時半に家を出た。
東京駅京葉線ホームで落ち合う。普段必ずと言っていいほど遅刻する彼女が時間ピッタシに来た。何を隠そう、彼女は右に倣えの精神でディズニーデートを提案したのではなく生粋のディズニーマニアである。この日だけは遅刻厳禁。前日は興奮して3時間しか寝られなかったというからさらに驚きだ。
舞浜駅に到着し、荷物検査を終えいざ入園。高3の春以来だから約7年振りの景色だ。えっ、高3が7年前ってまじ?
・・・
閉園時間ギリギリまで過密スケジュールでアトラクションを見てまわった。率直な感想は「ディズニーすげえ!」だ。以下、スゴイと思ったところ。
①景観
②アトラクション
③キャストさんのホスピタリティ

①景観
園に入りそのまま真っすぐ進むと屋根付きのアーケード街を通ることになる。そうなると左右には3階建ての建物があるのだが、よく見ると階が上がるごとに高さの比率が低くなっていることに気づく。まあこのことは予習で知ったことなのだが、いざ実物を目にすると思ったよりも”作り物感”があったことに驚いた。もしも視点が小学生くらいだったら見上げる角度はその分上がるので違和感には気づきにくいだろう。また、ディズニーランド中心に位置するシンデレラ城も、近くで見ると実はそんなに大きなものではない。f:id:gaku-diary:20230712070819j:image
いくらディズニーといえどテーマパークの枠組みからは抜けられんか・・・と、楽しみ始めるにはやや遅かった自分の年齢を呪いながら、しばらく園内を散策していた。すると、ふとシンデレラ城が視界に入る。しかしそれは先程見たようなものではなく、明らかに巨大で、一発でこのディズニーランドの主役だと分かる存在感を放っていた。なんじゃありゃあ!?と、思わず声が出るほどだった。これだけじゃない。園内で少し開けた場所に移動すると、視線のはるか奥に雪が積もった山々があることに気づく。んん?あんな方角に山なんかあったっけ?そう思い調べてみると、なんと敷地内にある模造だった。「!?」が頭の中に溢れる。ポジショニングといい色合いといい、にわかに偽物だとは信じられなかった。さらに面白いのが、「正体突き止めてやるでい!」と意気込んで山の近くまで行くのだが、おそらくその手前にあるであろうもうひとつの模造山が視点を遮ってしまうのだ。ここまで来たらあの山脈はもう見えない。せいぜい一般的な大学と同じくらいの敷地面積でありながら、まるで一国であるかのような拡がりを感じさせられた。f:id:gaku-diary:20230712070908j:image
ディズニーにはこのようなギミックがそこかしこに散りばめられている。仕掛けが施されているということは、やはり人間が意図を持って作り上げた世界観だ。しかしここで「なーに、どうせ本物には及ばないさ」と口に出すのはお門違いだろう。そもそも目指しているのは本物そっくりの世界ではなく、人々が共有するディズニー像だ。ディズニーランド制作陣は本気でフィクションを作り上げている。そんな彼らの物語に対する姿勢に、ただただ敬服するばかりである。
②アトラクション
一日中いたのにも関わらず全てを見て回ることができなかった。しかしこれは時間がなかったというよりは僕が同じアトラクションを2回乗ったりしていたからだ。ただ、やはりどのアトラクションも世界観の作り込みが他とは比べ物にならない。一般的な遊園地では、列に並ぶ際その風景はひどく殺風景なものだ。それもそのはずで、一般的な遊園地がお客さんに提供するものは主にアトラクションでの体験だから、どうしてもそれ以外にお金をかけることは難しいのだ。しかしディズニーの場合は大前提として世界観の演出がある。並んでいる時に見える景色にだって世界観に沿ったものを提供しなくてはならない。また、アトラクションごとにひとつひとつ物語が設定されているから、列に並ぶたびにその物語のキャラクターになれるのだ。つまりどういうことかと言うと、僕がビッグサンダーマウンテンの列に並んだときはアメリカ西部開拓者になっているし、ホーンテッドマンションでは1000人目の幽霊になっているということだ。ここが他の遊園地と一線を画すところだろう。飽きが来るほうが難しい。f:id:gaku-diary:20230712070939j:image
しかし、だからと言って乗り物に手を抜いているわけではない。なんなら界隈のフロンティアを切り開いているとも言えるアトラクションがある。それは、美女と野獣“魔法のものがたり”だ。デートの後半にプライオリティパス?的なものに課金して優先搭乗したのだが、その人気・行列は凄まじいものだった。一体どれほどのものなのだろう。自分たちの番になり乗り物を見てみると、それ自体は10人乗りでティーカップ型。決して目新しいモノではなかったのだが、地面を見て驚愕した。レールが無かったのだ。これまで僕が乗ってきたアトラクションはどれも楽しいものだったが、基本の作りは同じで、全てトロッコ型のものだった。つまり、レールを敷いてその上で箱を走らせる形態だ。このトロッコ型はポケモンでいうイーブイみたいなものであり、アトラクションと呼ばれるものはほとんどこの基本スタイルから応用を効かせて作られている。速い乗り物は確かに楽しいが、どんなに手が込んでいてもその動きは一通りに限定される。しかしこの、美女と野獣“魔法のものがたり”という、全く新しい乗り物はレールという制約を受けず自由奔放な動きを表現できる。パターンなどいくらでも改変できるから、まさに無限通りだ。社会のレールから落っこちたのは僕だが、レールを使わず踊るような動きでお客さんを楽しませてくれるのは、この美女と野獣“魔法のものがたり”だ。そして言うまでもないが、世界観の完成度も恐ろしく高い。彼女曰く、手前の一人客のおじさんが乗り終わった後にハンカチで涙を拭っていたそうだ。
このことから分かるように、ディズニーランドの制作陣は世界観を演出しつつ、さらにはアトラクション自体の可能性も果敢に模索し続けている。まさに最前線で戦うテーマパークの王様と言っても過言ではないだろう。
③キャストさんのホスピタリティ
SNS上で、ディズニーのキャストがジョウロ等で地面にミッキーなどを描いてお客さんを楽しませている動画が回ってくることがよくある。また、最近の例でいうとジャンボリミッキーというダンス動画がバズっていたことも記憶に新しい。ディズニーランドはキャストさんのクオリティの高さでも引けを取らない。僕は残念ながら今回の遠征で上の両者を見ることは叶わなかったが、キャストさんのホスピタリティは十分に味わうことができた。
ディズニーランド閉園間際、僕はお土産を買おうと混み混みのアーケード街に足を運んだ。この後に仕事を控えている僕からしたら一刻も早く購入し電車に乗りたいのだが、なんと目の前のお客さんと店員さんが談笑しているではないか。心の中でツッコミながらなんとか自分の番。お土産コーナーには混雑を招かないためにお客さんを捌くのが速い人をおくもんじゃないの?と思ったが、いざ僕らも話しかけられてタジタジ照れ照れ。外は真っ暗だったが店内は店員さんの笑顔で眩しかった。たしかに、終わり良ければ全て良しという言葉があるように物事の最後は印象に残りやすい。ディズニーランドのラストを陣取るスーベニアショップにはとびきり愛想の良いキャストが待ち構えていた。

以上のように、ディズニーランドにはスゴい!と思うポイントが多々あった。おそらく行くたびに新しい発見が得られるのではないかと思う。しかし今回のディズニー遠征で最も意外な発見は僕の中にあった。さしずめカチューシャ事変とでも名付けようか。本来、僕は有形の物を購入するときはかなり慎重になるタイプだ。当然その習性はディズニーランド内でも変わらないが、今回に限っては身も心も全て彼女に委ねる気でいたから、カチューシャでも何でも買うし装着するつもりでいた。当然そのことは彼女に伝えたが、遂にカチューシャを要求されることなく彼女は1人で装着、という形になった。僕は(まあ本人がそう言うのなら〜・・・)と思っていたのだがデートの後半、次第に僕のほうがカチューシャを着けてツーショットを撮りたいと思い始めてきた。そのままお揃いのモノを購入し、ツーショットを撮る。普段の僕からは想像もつかない行動だ。これもディズニーの魔法なのかもしれない。

追記:
その日、僕は職場で居眠りして夢を見た。僕が家賃を滞納し兄と大喧嘩する夢だった。