日記。

日々の徒然を書き留めてます。

俺史(大学1年生編)

12/10(土)〜12(月)
6100文字!?!?これを読み切ればあなたも俺検定準1級です。

2017年3月
多くの人が始めるであろうアルバイト。悩みのタネではあったが幸運なことに中学の時に通っていた塾の塾長が電車で15分の所にいると聞いたので高校卒業後すぐに行き、面接なしで採用された。3月の春期講習から入ることになる。最初はグダグダ授業をかましたが徐々に慣れた。飲み会に参加したとき、先輩が吸っていたタバコを付き合いでもらう。もらったほうが喜ぶだろうな〜って。これがヤニカスのスタートだ。
女性関係において。当時は童貞パワー全開なので女性と歩いてるだけで勃起していた。いかん、これではバイトや私生活に支障をきたしてしまう。根っこを断ち切る気持ちで、友人2人(脱毛屋、パチ屋)を強引に誘いバイト終わりソープランドへ。出てきたのは30手前であろう、整形っぽい顔をしたおばさんだった。全然勃たなかったがなんとかフィニッシュした。なんか色々グロくて吐きそうになったが、これでいい。女の子は妖精ではなく、人間だったことを知った。今まで僕が触れてきたものは全て子供向けコンテンツで、そのほとんどは極端にデフォルメされた世界だったのだ。当然だが、そんなんでリアルな女性がわかるはずがない。高校3年間で徐々に受け入れるはずだった現実を、1万5千円と1時間で体験してしまったからショックが大きかったのだろう。終電も無くなっていたので近くのファミレスで朝まで過ごす。何を話したかは正直覚えていないが、出る頃には自分を大事にしたい気持ちは無くなっていた。さあ、大学生活スタートだ。

2017年4月
「ええっ!?現役!?」
同期からも先輩からも散々言われた。うへへ、まあ3浪みたいなもんですヨ。なんか風貌というか、疲れ具合でそう見えたらしい。
高校までは何も考えず教室にいれば良いだけだったが、大学からは”自分で動く”ことを強く求められてる気がした。最も苦手なことでもあったので少々苦戦させられたが、これもすぐに慣れた。
はじめバスケサークルに入ろうと思ったが、よっトモに誘われ学祭実行委員へ。サークル掛け持ちは考えていなかったので、大学はずっとこれ一本。
これまでの友人の作り方に問題があったのかもしれない。人間関係がとても面倒くさくなってきていた。中途半端な関係が一番苦しい。ずっと引き攣った笑顔で接していたかもしれん。ていうか、今はそんなことより彼女がほしい。ソープに行ったことで明確にシンポ(心のちんぽ)が寂しがっているのを感じていた。

2017年5月
心血注いでとにかく明るい人物を演じ、夜に電話する仲になり、金曜日の夜明け前に告白して彼女ができた。相手は同じサークルの女の子で、1浪し年は1つ上。元々年上好きだったので僕的にはかなり満足だ。それもこれも、あの時ソープに行ったおかげだと思っている。なによりも安心感がはんぱじゃなかった。彼女ができたことで、彼女を持てるやつになれたのだ。何言ってるか分からないと思うが、これはかなり重要なことだと思う。一定数理解してくれる人がいるんじゃないかな、彼女ができると社会に認められた感じがしなかったか?
しかし自体は一転。2日後の日曜日、別れの長文LINEが来た。もう、これはしょうがない。圧倒的な女性経験不足の僕に分かるはずがなかったのだ。彼女がドがつくほどのメンヘラだったということを・・・。当時は意味が分からなすぎて、翌日の月曜日が初めての自主休校日となった。
<コラム>
ここで、彼女のメンヘラタイプについて考察してみたい。後々の彼女から聞いた幼少期の環境や普段の言動+目に余る言動を鑑みるに、あれは機能不全家族アダルトチルドレンというものに分類されるんじゃないか、と思っている。もちろん僕は心理学とか専門的に学んでいないのでちゃんとしたことは言えないし、センシティブな内容なだけあって誰かの反感を買うかもしれないので、ここでは詳しく言及するのは避けたい。そしてひとつ言いたいのは、たしかに僕は理不尽に振り回されたが、彼女だって望んで今の自分になったわけではないのだ。蓄積した鬱憤を彼女にぶつけるのは簡単だしすっきりするかもしれないが、それをやっても何か虚しい気がする。自分でどうしようもないことは天災だと思って、これからは関わらないように気をつければいいだけだ。

2017年6月
初めてパーマをあててみた。心機一転、振られたことは忘れて次に行くかと意気込んでいたら例の子からLINEがきた。「パーマあてたんだね、似合ってる(^^)」。普通はここでうるせえ!となるところだが、非モテの僕はえへへへ〜(^^)となってしまった。そんでまた付き合った。結論から言おう。2週間後に振られた。もう本当に不安定すぎる。学校近くの河川で泣いた。「もういい加減あのメンヘラに固執すんのやめろよ」と言われたが、無茶な相談だ。それは次がないと思っていたから。当時の僕にとって、1人の女の子と0から親密になるには髪の毛先にまで神経を注ぐほどの途方も無い労力が必要だったのだ。トホホ〜( ; ; )

2017年7月
その子とはしばらく連絡を絶っていたが、夏休み直前、僕のほうから遊びに誘ってしまった。YouTube広告か何かでホラー映画が流れて、それがシンプルに面白そうだった。1人では見たくないし、男と行っても面白くないから、と無理やり都合を乗っけて誘ったらOKをもらえた。多分、生理周期的に安定していたんだと思う。忘れもしない、7月19日にまた付き合った。その後、自由が丘のネカフェで素人童貞を卒業。喫煙ルームの中で塾長に電話で報告した。

2017年8月
塾講師バイトのシフトで夏期講習に空いている日を入れてと言われ、本当に空いている日を全部入れちゃったから大変なことに。後半なんか呂律が回らなくて僕の唾が生徒の教科書に飛んでしまった。ざまあみろ。今思うと甘いのかもしれないが、あまりの負担にこの夏期講習で辞めることにした。そもそも俺ガキと話すの嫌いだわ。それに慕っていた塾長が諸事情により辞めてしまったから、もうここで働く理由はなくなっていたのだ。

2017年9月
大学の休みが変則的で、8月も終わらないうちに授業が始まり、そして9月も終わらないうちにテストがあって、テストの後は11月まで秋休みが続く。テストもそうだが、この時期から文化祭の準備が始まる。学校で寝泊まりし展示物や看板を仕上げていく。年頃の男女が集まっているのに色恋な駆け引きは一切なく、無邪気な笑顔で溢れた素晴らしいサークルだったと思う。というのも先々代くらいが飲酒関係で事件を起こしたことがきっかけで、以降このサークルではお酒を飲むことが禁止されることとなったのだ。この制約もあってかサークル内には落ち着いた子が多く、それ以外は自然淘汰されていった。
あ、もちろん当時の彼女はサークル合宿に参加していない。人に気を遣いすぎるHSPタイプのメンヘラなので、そもそも集団生活が地獄なのだ。この時期、彼女からの「死にたい」LINEがサブスクのごとく定期的に届くようになっていた。理解のある彼君こと僕は、それに対して決して邪険に扱うことなく夜中でも電話したり「そんなこと言わないで?(´・ω・`)」と懇願することで彼女の希死念慮を緩和していた(でも今考えるとあれは彼女の暇つぶしだったんじゃないかと思う。クァ〜暇だし、自己肯定感でも上げるかあ的なテンションだったかもしれない。くそ。)。こう言うとさぞかし大変だったのだろうと思われるかもしれないが、実はそうでもない。日常的に手とり足取り、細部に至るまでケアしていると、次第に「この子には俺がいないとダメだ!」という感情になってきて生きがいでさえあったかもしれない。あ、これを共依存と言います。
ただひとつ、あのバケモノメンヘラと一緒にいたことによる利点がある。それは、めちゃくちゃ真面目に相手してたから死について考えるようになったことだ。

2017年10月
テストも終わり、成績をWebで確認。苦手なTOEICの授業は落としてしまったがそれ以外は良い成績で単位取得。安堵して少しした後、とてつもない恐怖が僕を襲った。あれ、俺は一生こうやってテストに備えて準備して、余暇に楽しいことをしながら我慢して過ごしていくのか・・・?単一の生き方モジュールが強制的にインストールされた気がして気持ち悪かった。これ以外に生きる方法はないのか?何でこんな不自由な思いをしなくちゃいけないんだ?子供の頃に遊んだように魂を踊らせることはもうできないのか?人はいつ死ぬかもわからないのに・・・・みたいな感じで自分の人生に焦り始める。

2017年11月
文化祭スタート。日程の前々日からめちゃくちゃ忙しく4時間睡眠が続いたが、家に引きこもっている彼女からは相変わらず死にたいLINEが来ていた。僕は真っ暗な部屋で、眠っている先輩の横でLINEを返した。放っておけばいいものを、当時の僕にはそれができなかった。
文化祭最終日、事件はついに起こる。前日、僕が寝ようと思っていたときに彼女から「もう死ぬわ」とLINEが来た。またいつものか・・・とはならない。本当に死の一歩手前と思い、いつものように全力で止めるだけだった。しかしこの時は様子が違い、いつまで経っても返信が来なかった。何度も電話したが全て無視。「あ、本当に死んだかもしれん」と思い、その日は一睡もせず朝を迎えた。正午になっても既読すらつかない。心身の限界を迎え、泣きながら女の先輩に(未来の彼女でもある)彼女の家に行ってもいいですか?と仕事を放棄し1人抜け出した。しかし、マンションの前まで行くも何をすれば良いかわからない。そこで地区の警察に連絡することにした。「あの・・・今日自殺者とかって出ましたか?」「いいえ、出ておりませんが・・・すみません、えっと、大丈夫ですか?」事情を説明ししばらく待ったあと、諦めて僕は帰路についた。もう少しで駅だというところで、死んだはずの彼女から連絡が来た。「今警察がきた」「うん、俺が呼んだ」。僕はUターンしマンションに戻る。すっぴんでやつれた彼女が出てきた。全く可愛くなかった。生きていたことへの安堵、僕を散々振り回したことへの苛立ち、その他もろもろの感情が涙となって溢れ出た。わんわん泣いた後、極度のストレスでものをうまく考えられなくなっていた。今度は救急車を呼ぼうとしたら彼女に制止され、部屋に招かれる(実家)。彼女の机にある本を開き一文字も読めなかった時は本当に怖くなった。元に戻らなかったらどうしよう。不安になればなるほど動悸が激しくなる。3時間は寝ただろうか、頭はボーッとするがパニック症状は脱したようだ。学校ではなく家に帰った。しばらく休みたい。
学祭の後片付けには参加しなかった。2,3日して授業が再開し日常が戻ってきたが、僕の意識はどこかへ行ったままだった。2限の日、家を出て電車に乗ったが、学校には行かずそのまま上野動物園に行ってサル山の前でボーッとしていた。その日から僕は人生初の不登校生になった。もう無理だ、と母に泣きついた。

2017年12月
上野公園の年パスを購入し、週に3回動物園に通う生活をしていた。父の前では学校に通うふりをしていたので、授業には出なかったものの毎日外に出るようにしていた。うつ病と診断された彼女も不登校状態になっており、会える時には会って遊んでいた。しかし、実際には約束した回数の3回に1回はすっぽかされていた。「体が動かない」というのは彼女の常套句だ。これは好奇心なのだが、本当に鬱で体が動かないと言っている人を無理やり外に連れ出したらどうなるんだろうと、今でも気になっている。
1日中何もしなくていい数ヶ月、という膨大な時間を手に入れたのは生まれて初めてかもしれない。そう考えるとワクワクしてきたが、具体的にやりたいことは何一つ思い浮かばなかった。サラリーマンの休日ってこんな感じなのかなあと思った。そこで、僕は本を読むことにした。昼過ぎに2つ隣の駅にあるデカい図書館に行き、最寄り駅のサンマルクで閉店間際まで読書する生活。学校の勉強以外で知識を吸収するのが新鮮だった。母はそんな知識どこで使うねん!って言ってたけど、これこそ真の学びだろうと、今でも思う。役に立たせようと思って得た知識なんかすぐに役に立たなくなる。好奇心の赴くままにかき集めた”無駄”が中で繋がって自分が形成されるのだ、と本気で思っている。
深夜はひたすら散歩した。何か考えているようで何も考えていない。ちゃんと論を組み立てるには足元を固めながら考える必要がある。精神的に参ってる状態ではまともに頭も働かない。暇な友達がいれば誘っていた。

2018年1月
学校に行ってないことがバレた。
祖父は僕を心配して飲みに連れて行ってくれたり、昼間に都内を散歩したりした。
母は僕を昼ごはんに誘い、そのままお店の手伝いをさせた。僕はそこで日銭を稼いでいた。
父は最初怒ったが、来年度からちゃんと学校に行くことを約束したら僕を信じて何も言わなくなった。
兄は「俺にはできん」と謎に感心していた(らしい)。
妹は部活が忙しすぎて特に気にしていないようだった。
飼い犬は尻尾を振っていた。
Love, my family.

2018年2月
脱毛屋とソープに行った。当時はちょっと奮発して60分2万円強のところにしたらなかなか可愛い人がでてきた。帰り際、ダメ元で「プライベートでも会いたい」と言ったら「お兄さんかっこいいからイイよ」と、LINEを交換してくれた。後日、夜中に新宿にある家に行こうとしたとき彼女から「何で構ってくれないの?他の女とやってろバーカ」とLINEがきた。こっっっわ。女はエスパーを使えると知った。ソープ嬢の自室はマンションの最上階にあり、デカ寝室のカーテンを開けると東京タワーとスカイツリーが同時に見えた。一発した後、途端にその人に対する興味が消え失せたし、また、彼女から電話が来ていたので罪悪感MAXになり始発前に家を出て、証拠隠滅のためにLINEをブロック削除した。何をやっているんだ俺は。実際に起きていることと精神の成熟度合いがあまりにかけ離れすぎていてキャパオーバーになっていたのかもしれない。

2018年3月
彼女がバイトを始めた。夏にオーストラリア留学している友人のところへ遊びに行くためだ。毎日朝から晩まで働いているらしく、そのことが無性に僕を苛立たせた。抜け駆けされた感情だと思う。今までずっとニート状態だったのに、急に自立した成長具合を見せつけられてどうしても邪魔をしたくなった。心の声を翻訳すると、「俺はお前のために”ダメ”になったのに、何でお前はそこから脱しようとするんだ!」といったところだろうか。社会から隔絶された男女2人、歪な仲間意識が芽生えるのも無理はない。
自由な時間は今月で終わるが、夏休み最終日みたいな感情にはならなかった。非公認な休みだったし、もう充分だと思った。後期の取得単位は0だったが、学校のカリキュラム的には自動的に2年生に上がれることになっている。ああ、やっと学校に行ける。