日記。

日々の徒然を書き留めてます。

インド旅行3-3

3/4(土)10:00〜
んまかったなあ、バターチキンカレー。しかしそれ以外にも、ここに来て良かったと思えることがあった(意図的ではないが)。屋台飯だと分からないが、こういった小綺麗なレストランだとジャーティがよく現れているのが分かる。ジャーティというのは、インドのカースト制度を形作る共同体のことで、職業・地縁・血縁関係で結ばれている。僕がお邪魔したレストランには、①注文をとる人、②レジを使ってお会計する人、③テーブルを掃除する人、④床を掃除する人がいたが、全員自分の仕事しかしていなかった。どういうことかと言うと、食べたいものが決まりテーブルを掃除してる人に声をかけたら、彼は何も言わずに奥に引っ込んでしまい、代わりに違う人がやって来て注文を聞いてきた。おー!これがジャーティ!不覚にもワクワクしてしまった。確かによく見ると、テーブルを掃除していた人が薄汚れた作業着だったのに対して、注文を取りに来た人はピシッとシャツとベストを着こなしており、髪もワックスで固めていた。見た目で分かりやすい例だな。ここでもまた、進研ゼミでやったところだ!である。
しかしこのジャーティ、否定的にも肯定的にも捉えることができる。日本目線から見たら、生まれた瞬間に自分の仕事が決定している社会は残酷に思うかもしれない。しかし、見方を変えれば生まれた瞬間にニートを回避できる社会だ。見えない将来に不安する人は日本よりもずっとずっと少ないはず。また、”何もしてない人”が否定的に捉えられる現代日本で、何者かになろうと必死にもがき苦しむ人は数多くいるだろう。その中で、自分にコレといった取り柄がなくても居場所が保証されている社会というのは、人によってはかなり大きな救いなんじゃないかな。
それにしても、排他的で仲間意識の強い島国ジャパンとカースト制度って案外相性良いのでは?と思った。でもあれ、日本にも江戸時代に士農工商ってあったなそういえば。日本人とインド人。精神の奥底で共通できる部分が意外と多かったり・・・と考えると、目の前にいる、よく分からんままレストランまで運んできたおっちゃんにも親しみってもんは湧くものだ。いいからはよタージマハルまで連れてってくれ。f:id:gaku-diary:20230312013735j:image
士農工商についてちょっとググってみたら、研究が進み、当該語句が身分制度を表すのに適さない、とのことで教科書にはもう載っていないらしい(身分制度がなかったわけではない)。そもそも区別意識は人類普遍の習慣だったり。