日記。

日々の徒然を書き留めてます。

俺史③(高校生編)

12/1(木)

さては日記の内容が思いつかなかったら俺史で埋め合わせられると思っているな?そんなこんなで高校生編。

2014年4月
オナ禁失敗するもなんとか第一志望の高校合格。偏差値は50後半で、まあ人並みに勉強してきたかな〜って感じの、本当に中途半端なところ。ガリ勉はいないし、かといって堂々とテストをさぼるような輩もいない。
この頃の一番の変化は店員さんとちゃんと話せるようになったこと。あと環境の変化に緊張しなくなったことかな。中学の入学式は午後からだったんだけど、あの時は異様に緊張しすぎてワンピースのボアハンコックで抜いて気持ちを落ち着けてた。緊張しなくなったのには理由がいくつかあると思うんだけど、多分身長が日本人男性の平均を超えたことが一番でかい。ヒトが緊張状態になるのは周りに強え(と思ってる)やつがたくさんいる環境下だろう。最悪、肉弾戦になっても勝てる自信があったから堂々と教室に入ることができた。遅刻だった。
誰からも、何も言われなかったらバスケ部かバレー部に入っていたと思う。しかし春休みに例の塾長から「いいか、絶対に部活には入らないで3年間勉強しとけよ。そっちのほうが遥かに人生生きやすくなるぞ」と諭され、帰宅部を勧められた。まあ僕自身も学歴コンプになると思っていたので背中を押される形で入部届をゴミ箱に放った。ただ、この時は知らなかった。学力が中途半端な高校では所属部活こそ絶対なのであり、帰宅部には人権がないことを・・・

2014年5〜7月
順調な滑り出し。中学までに培った対人コミュニケーション(※男子限定)は充分に発揮され、全員と親しくなれる土壌が出来上がっていた。しかし徐々に、お昼休みは同じ部活どうしで集まる流れができてしまい、僕の元に残ったのは陸上部のM君と、帰宅部のE君だけ。僕は2人と仲良くすることができたが、M君はE君のことが嫌いだったみたいだ。どちらにも良い顔をする僕に〇〇(いい言葉が思いつかん)したのか、M君は僕の元を去って違うグループに行ってしまった。期末テスト期間、放課後1人教室に残って勉強していたらM君とその他運動部男子2人(イケイケというやつだ)がやってきて僕にこう言った。「Eのやつウザくね?」正直、僕に彼のウザさは分からなかったし、それどころか2人で帰ったり漫画も貸し借りする仲だった。しかし、その時僕の口から出た言葉は「あ、わかる。俺も苦手」だった。自己保身を第一に据えて、場の雰囲気を読んで、目の前の人が欲しい言葉を必死に考えた結果だ。その日は真っ暗になるまで彼らと笑い合い、次第に女子も集まり残りのテスト期間は一緒に勉強して過ごした。正直言って楽しかった。それ以降、僕は意識してE君を避けた。1学期最終日は1人で帰った。

2014年9月
夏休みが明け、久しぶりに皆と会ったがどこかよそよそしい。今だからわかるが、あれはワンナイト相手とホテルで迎える朝の雰囲気だ。きっと彼らは夏休み期間中も部活に精を出し、時にすれ違うことで親密度がまた高くなっていたのだろう。僕は遂に孤立し、1人で昼飯を食べることが多くなった。そうなってやっとE君との関係が修復したが、これもやはりよそよそしい。
僕は、集団内で嫌われる人を感知できない。集団心理と、それに屈した自分の弱さと、E君への罪悪感。そのどれもが非常に気持ち悪いものとなって、人との接し方が分からなくなった。他にも原因はあるのだろうが、それ以来僕は、大学まで長引くほどの”コミュ障”になってしまった。また、1人のほうが気楽という感覚を初めて知った。

2015年3月
高校1年生の間はずっと数学ばっかり勉強していたから、この頃になると数学の成績は学校内で圧倒的になっていた。どのくらいかというと校内偏差値が93くらい。まあ井の中の蛙大海を知らずとはまさにこのことなのだが、これのおかげでテスト前には僕の周りに人が集まるようになっていた。おいおい、4月に帰宅部を選んだとき「俺ァMARCH以上しか行かねえ」とか言っちゃったけど、これで大学落ちたら本当に洒落にならんぞ。

2015年7月
高2の夏、予備校に通い始める。さーて夏休みも勉強頑張りますかあ。1学期も終わり教室を出ようとすると見慣れない美少女が先生と話しているのが目に入った。え!?何だあの子は!?近くのホモ・サピエンスに聞くと、彼女は1学期ずっと不登校だった子らしい。対人間力どん底なのにも関わらず性欲がピークを迎えていた時だったため、一回も話してないのにLINEで告白するという珍プレーをお見舞いする。当然断られたが、実はそのあと動物園デートに誘ったら「水族館ならいいよ」と返事をもらう。飛び上がって喜んだ。しかし今の俺に数時間女の子と話せる能力あるのか?不安になって「動物園じゃないと嫌だ」と謎の断り方をした。まじで意味わからん。そんなに好きなら1人で勝手に行ってろよ。

2015年11月
修学旅行先は沖縄。周りのホモ・サピエンスは一生の思い出にドキドキ・ワクワクしていたが、こちらはそんなくだらないイベントにうつつを抜かしている暇はない。沖縄について新聞風にレポートする課題では真ん中にでっかいヤンバルクイナだけ描いて提出した。また、当時の交友関係については本当に奇妙なものになっており、沖縄ではホテルに1泊、民家に3泊することになっていたのだが、その班分けではサッカー部を中心とする1軍とホテルに泊まり、民家は肥溜めメンズと過ごした。スクールカーストのどこにもいなかったのかもしれない。(部外者?)
滞在中に用意されているアミューズメントはいくつかのコースに分かれており、学校で事前に申請する必要があった。マングローブの森をカヤックで周るコースやスキューバダイビングのコースなど、本当に楽しそうなのがたくさんあったが、そんな中で、盲腸並みにひねくれていた僕は粘土で作るシーサーコースにした。選考基準は人気なさそうかどうか。しかも完成品の背中に「大学合格!」とか描いてた。本当にきしょ過ぎる。二度と沖縄に来るな。

2016年2月
模試の際に志望校を記入する欄で、偶然面白そうな名前の大学を発見する。これまでは上智に行く〜とか言っていたがそれはランクで選んでいただけなので、そこまで思い入れはなかった。ほう、興味が湧いてきた。この時期に志望校を変更。しかも国立なので全教科勉強する必要が出てきた。予備校も母親もドタバタして必死に勉強ロードを用意してくれた。

2016年4月
ついに高3。2年前から受験生みたく大学を意識していたので気持ちの切り替えとか何もなかった。
なぜか僕に絡んでくれる人がいて、その人と長い時間を過ごすようになる。
2年生の頃も同じクラスだったソフトボール部の女の子に好かれ(もちろん可愛くない)、学級委員を一緒にやろうと誘われた。まあ俺がやったら面白いかもな、と了承。
遠足でまさかのディズニーランドへ。平日ということもありアトラクションにたくさん乗れた。複数人の友達と一緒に周ったからか、高校に入って初めてはしゃいだ。その日はとても楽しく、後半は上着を奪われる↔上裸で過ごす、を繰り返してた。

2016年6月
3年生になって部活を引退する人が多くなり、本当に気の合う者同士でつるむようになる。部活ヒエラルキーが激しい学校だったので、サッカー部はほとんど彼女持ちだったのだが、その中でも彼女のいない2人とつるむようになる。高校生のうちに彼女ができる確率は0%だと確信。

2016年8月
毎日予備校に通い朝から晩まで勉強。勉強時間を記録するアプリを使って初めて気づいたのだが、 僕はどんなに頑張っても8時間以上机に向かって勉強できないらしい。「1日12時間勉強してました〜」みたいな文言に怯えるようになる。また、大学に入ってからもこういったコンプレックスに苦しむのだが、これはまた別のお話。
高3の夏は物理に捧げた。公式を丸暗記するのではなく、考え方、アプローチ法を体に染み込ませて”その場で公式を導く”訓練をひたすらした。この、1から組立てて思考する癖をつけられたことは冗談抜きに財産だ。物理選択にして本当に良かったと思っている。ちなみに化学は先生が嫌いすぎて単位を落としたため、物理・生物選択の異色の理系受験生を強いられた。(普通は化学・物理か化学・生物)

2017年1月
センター試験終了後、家で自己採点。数学ⅠAが満点で、物理が1問間違い。たかがセンターで、本番は二次試験。それでも無性に嬉しかった。センター利用で受けた立教大学中央大学はどちらも合格した。まだまだ、本番はこれからだ。

2017年2〜3月(高3)
無事に合格。と、言いたいところだが、ちょっと惜しい。特殊な入試システムなのかは知らないが、同学部内で希望学科を2つ選んで成績の良い順に各々が希望する学科に配属される仕様で、僕は第二志望だった学科に合格した。まあ何はともあれ、紆余曲折を経ながらも第一志望の大学に合格だ。3年間苦しいことだらけで何か人として大事なものを失ったが、それは大学で取り戻そう。あばよ高校。卒業式後ダッシュで帰宅しブラックジャック全巻買って、ゆっくり、できるだけ時間を無駄にして読んだ。

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