日記。

日々の徒然を書き留めてます。

性欲と切り離された愛情を

10/14(金)

「でも、人の人生を変えようだなんて烏滸がましいと思いませんか?」
「え?」f:id:gaku-diary:20221016095048j:image

時刻は夕方、人もまばらな居酒屋で目の前にいる女の子がそう言った。彼女は以前Tinderでマッチしこの日記に興味を持ってくれた、現在文学部在籍の大学4年生。文学部らしからぬ髪色だが、普通に可愛い、天真爛漫な子だ。本当は一週間後に会う予定だったのだが、急遽友人との予定が終了したため僕が召集された。にしても電車で40分離れたここまで来てくれるとは。こんな時間から暇そうな人って俺さんくらいしか思いつかなかったんですよ〜!←正解。

集合時間がお昼過ぎだったので、お互いお腹は空いていない。つまみもそこそこに、お酒を飲みながら近況を話し合う。僕はあの時(最後に元カノと会った日)、無理やりにでも元カノのスマホを奪って本命くんのLINEをブロ削すれば良かった、結局僕はあの子にとっての何者にもなれなかった、と抱いていた感情を素直に打ち明けた。だが、彼女からするとその行為は”出過ぎたこと”らしい。その言葉を聞いて腑に落ち・・・たわけではないが、今の僕を説得させるには十分だった。今になって思う。きっと僕は元カノに対して「俺を見てくれ!」と、子供のように認知されたがっていたのだ。しかし、どんなに叫んでもおどけても、あの子の視線が僕に向くことはなかった。思い返せばあの子が感情を表に出す時、僕は自分の名前ではなくずっとずっと、ずーっとお前”ら”と呼ばれていた。これはつまり個人として認識されていないということに他ならない。あの子の人生の中では、僕は名前ももらえず、個人としての役割ももらえず、群衆の中の一人でしかなかった。ずっと抱いていた苦痛さの正体はきっとこれだったのだろう。もしあの時、無理矢理にでも本命くんのLINEをブロ削していたら登場人物の一人にはなれたかもしれない。ただ、それは"悪役"としてだ。それは本意だろうか?否。誰かの人生に無理やり介入しようとすることは、きっと暴力でしかない。暴力を持ってでしかその人に関われないのなら、お互いのために関係を切った方が良い。「ふいーーーっ」ビールを流し込み、ひと息つく。ここまできてやっと、5月から始まる一連の出来事を咀嚼し、飲み込み、腹の中に収められた気がした。楽しかった、大好きだった。もうそれでいいじゃないか。

しばらく飲んだ後ホテルへ。彼女は門限があるというので宿泊ではなく休憩にした。セックスし(※どちゃくそエロかった)、溜めておいたお風呂に入る。そろそろ出ないと電車間に合わないね。着替え終わってソファの上で抱き合い、余韻に浸りながら残りの缶ビールを飲んでいたその時、ふと自分の中で愛情がむくむくと芽生えてきたのを感じた。気付いたらそのまま挿入し、3回戦に突入していた。「俺さんってチョロそうですよね〜」上で腰を振っている彼女が言う。←正解、と言いたいところだが、果たしてあの感情は本当に愛情と呼ぶものなのだろうか、それともただの性欲なのではないか。"恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである"。これは芥川龍之介の言葉だ。はてさて・・・結局、退店したのは1時間後。ちょうど彼女の門限時刻だった。ハフー。上着を手に取り、外の夜風が心地良い。また会おうね(社交辞令ではない!)と言い、駅で別れる。f:id:gaku-diary:20221016095810j:image

帰り道、ふと思った。今関係のある女の子は2人。1つ年下のキャバ嬢の子と、2つ年下の今日の子。これからは女の子に関して、この2人だけにお金と時間を使おう。Tinderももうアカウントごと消したし、他のアプリも使う予定はない。兄のような親戚のおじさんのような、一歩引いた立場で、誰も制限せず誰も傷つけない穏やかな関係を目指そう。年功序列のような古風な精神が心の奥底にあるので、年下相手になら過剰に求めすぎることもなく達成できるのではないか。これを、2人に飽きられるまで続けよう。性欲と切り離された愛情を自分の中に確かめたくなった。