日記。

日々の徒然を書き留めてます。

祖父の死⑤

10/23(日)

15時に起き、父と車で会場へ向かう。今日はお通夜だ。道中で祖母のところに寄り、弔問用の真っ黒いネクタイを借りた。なんでも生前に祖父が使っていたものらしく、絹100%の素材でとてもさわり心地が良かった。形見が増えるのは、とても嬉しい。

 

会場に入ると、まず献花の数に驚かされた。自営業だったから?それともおじいちゃんだったから?少なくとも献花は壁一面では収まりきらない量で、親族席の後ろまで回り込んでL字型に配置されていた。そういうものなのかもしれないが、ものごころがついてから初めての葬式だ。もし僕が祖父と同じ歳で死んでもこんなに花が贈られるとは思えない。さては花屋って儲かるのか?と邪な思いを抱きながら見回してみると、株式会社〇〇代表取締役や有限会社〇〇など会社からの献花が多かったが、中には個人から贈られた花もちらほらあった。

お通夜が始まる。住職さんが中央の椅子に腰掛け、祖父の遺体と花に囲まれた遺影の前でお経を唱え始めた。女性の住職さんだったが、会場中に響き渡る低い声だった。祖父とは同世代の友人たちと同じ様に身の回りの女性関係のことも話し合う仲だったので、独特の馴れ合いがあった。その馴れ合いを思い出すように、心のなかで「住職さんが女の人で良かったね」と声をかけた。

続いて、親族から順番に焼香をする。焼香とは、台の上に置かれた抹香(粉末状の香)をひとつまみし目の高さまで持ち上げ、最後に香炉の中に落とす動作だ。細かいところは宗派によって違うと思うが、自分の心身を清め故人に弔意を示す意味があるらしい。親族の番を終え、参列者が続々と列に並んだ。会場に入り切らなかった人も焼香をするので、長蛇の列が延々と続いた。お年寄りの方は意外と少なく、30代〜60代がおそらくボリュームゾーンだと思われた。中には僕と同い年くらいの女性の方もいて、老若男女問わずとはまさにこのことだと思った。また、後から聞いた話だと市長や県議員の人も来ていたらしい。その人がどういう人生を辿ったのか、わかりやすくその答えが見える場所が葬式なのではないか。そう思うと誇らしく、今まで散々祖父の七光りを受けていたことがわかった。f:id:gaku-diary:20221101055845j:image

 

あらかた終了し、階をまたいで親族で食事した。お寿司とか天ぷらとか食べたけが、こういう場での食事は大体冷めているのでテンションは上がらない。途中で抜け出し、店長と1階の喫煙所で一服。いまさらこんなこと言うのもおかしいが、血縁関係のない60代男性とこうやって一緒にタバコ吸うことも、祖父がいなければ存在しなかった事実だ。”祖父がいなかったら”と考えると、きっと今とは全く違う人生を送っていたと思う。交友関係、シニア世代との距離感、人への甘え方、基本的な考え方、ものの見方、その他もろもろ。うん、僕の総量のうち、何%かは祖父でできている。そして・・・

「あ、何かわかったかも」

急に視界が開けたような気がした。祖父の肉体はもう動かなくなってしまったが、何%かが祖父でできている僕の体はまだ生きている。それは遺伝子だけではなく、祖父が後天的に身に着けたモノも含めてだ。つまり、

「俺の中のおじいちゃんはまだ生きているんだ」

「急にどうした?」

すごくチープな言い方になってしまったが、昨日祖母に言われた「じいじは心の中にいるよ」とはこういうことなのかもしれない。人に何かを遺すことは、自身の延命でもあるのだろう。じゃあ人の本質とは何だって話になりそうだが。

 

明日は告別式と火葬がある。祖父の肉体と一緒にいられるのは今夜が最後だ。また、そういう習わしなのか祖父の遺体がある会場は一晩中開放されている。だから僕は一晩中一緒に過ごすことにした。これには理由がある。生前、家族と一緒に祖父と外食した際に、祖父を家まで送り届けるのが僕の役目だった(他の4人は分かれ道で家に帰る)。何かのノリで決められたこの役目。「お前なんかに見送られるほど俺は落ちぶれていねえ」と祖父は言っていたが、やっぱり目が笑っていた。僕としても、途中で立ちションしたり歩きタバコする時間が好きだった。この役目も今日で最後だ。ほら、おじいちゃんも明日で体が無くなっちゃうのに一晩中独りなのは寂しいでしょ?