日記。

日々の徒然を書き留めてます。

祖父の死⑥

10/24(月)午前

午前0時。センターの人が用意してくれたパイプ椅子を棺桶の隣に置き、イマジナリーおじいちゃんを召喚した。目の前に本人の遺体があるのでイメージの精度はピカイチだ。本来お通夜とは故人と最期の夜を過ごす儀式で、灯明と線香を絶やさないように、という意味も持つ。

召喚したはいいが、今は話す気はそこまでない。入り口付近にある思い出コーナー(祖父の写真を流したモニターと、お気に入りのコーヒー豆、例の半纏などが置かれている)から日記を持ってきて、祖父の隣で読んだ。10月18日で止まっている日記。人の悪口、愚痴、ネガティブなことは一切書かれていない。自分のメモアプリに「嫌いな人」フォルダを作っている僕とは大違いだ。

ここ最近の日記を読んでいると、祖父が亡くなる2日前の10月17日、驚くことが書かれていた。「〇〇(僕の兄)が婚約。」え、これ俺初めて知ったんだけど。何で誰も教えてくれなかったんだ。なんか家族内の情報が僕に回ってこないのは多々あったが、こんなことまでも僕は知らずにいたのか。1週間後になって祖父の日記で初めて知るってなんなんだ。そう思うと、命日の19日、病院に来て祖父の遺体を前にした兄の気持ちたるや。

「ていうかその日、俺おじいちゃんち行ったよね?何で教えてくんなかったの?」

たまらず話しかけると、イマジナリーおじいちゃんが返す。

「だってお前。家族に興味なさそうだし、いつもふらっかふらっかほっつき歩いて全然顔出さねえじゃねえか。」

「ふふっ」

思わず笑みがこぼれた。今は寂しくない。

その後も日記を読み続ける。夜は長いが、ずっと明けないで欲しかった。棺桶の中の薄く綺麗な布団をめくり祖父の手を握る。ゴツゴツしていて、大きかった。こんな手をしていたんだ。生前は知ろうともしなかった体の特徴、今は当然冷たい。そうだ、せめてこの右手だけでも生き返したい。そう思って自販機に行き、温かいお茶を買ってきた。お茶の熱を僕の右手に移し、またそれを祖父の手に伝える。日記を読んで、また冷たくなったらお茶を買って温める。これを繰り返していると、ほんの少しだが右手の甲に熱がこもった。だが、手を離すと1分としないうちにまた冷たくなってしまう。やっぱり死体なんだね。また悲しくなってしまった。やらなければ良かったかな。

飲みかけのお茶が3本になった頃、既に日は昇っていた。朝の6時、別れの時間は刻々と迫ってきている。もう死んでいるのに、自然と祖父にやり残したこと、してあげたいことを考えていた。特にない気がしたが1つだけ思い出した。僕が学生の頃、祖父にクラシックの生演奏を聴いてみたいと言ったことがある。クラシック好きな祖父は手を叩いて行きたがったが、1つだけ僕に要求した。それは僕がチケットを2人分予約・購入することだった。「もちろん金はあとで払う、お前が1人でセッティングしてみろ。」とのことだった。"お金を貯めること"を教えたかったのだろう。しかし当時は(今も)本当に貯金する習慣がなく、バイトで稼いだとしても友人との飲み代のほうを優先してしまうその日暮らしの人間だった。その後も何度か催促されたが、次第に何も言われなくなった。しかし、正直に言うとそれに関してはあまり後悔はない。一緒に飲みに行った時に奢ったことが何回かあるが、その時に祖父は心底喜んでくれていたからだ。トータルで3万にも満たない金額。祖父が僕に対して費やしたお金と時間は本当に計り知れないが、多分、世のおじいちゃんという生き物は孫からのほんの数回の奢りだけで満足してしまうものなのだ。

だから、これはほんの暇つぶし。そう思いYouTubeで「クラシック メドレー」と検索し適当な動画を流した。スマホを祖父の腹に乗せ、手を握り、大きな遺影を見上げる。自分でも信じられないほどその時間は最高だった。

そうこうしているうちに朝8時。後ろで扉が開く音がし、振り返ると母だった。最後の役目は終わりを迎えていた。

「おじいちゃん、お母さん来ちゃった。これで最後ね」

と、僕はメドレー中に流れて良いなと思ったパッヘルベルのカノンを流した。全体的に穏やかだが、所々に快活さがある5分の曲。残り4分、残り3分、悔し涙が止まらない。本当に、一緒に聴きに行けば良かった。

 

カノン

カノン

  • カペラ・イストロポリターナ & リヒャルト・エトリンガー
  • クラシック
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes