日記。

日々の徒然を書き留めてます。

インド旅行8-1

3/9(木)10:00〜
『Hey!!』
急に呼びかけられる。びっくりして起き上がるとゲストハウスの人が僕を見上げていた。慌てて状況把握する。昨日は何した?あ、バングラッシー飲んでそのまま寝てたんだった。今日はえっと・・・インド最終日だ。彼が何か呼びかけている。なんて言ってるか分からなかったけど、多分チェックアウトのことだろう。2段ベットを降りる途中、激しい嗚咽感に襲われた。うへえ、二日酔いの症状だこれ。
フラフラになりながら宿泊料金を払い宿を後にする。今日の予定はバラナシからデリー行きの飛行機に乗るだけ。たったこれだけだが、ミスるととんでもなく面倒くさいことになるので何重にも注意を払う必要がある。全集中、テイクオフだ。
フライトは夕方からだが、お昼には空港に着いていようと思い寄り道せずにそのまま向かうことにした。それにしても頭が痛く、視界もハッキリしない。思考にも五感にも靄がかかったみたいだ。デバフとはこのことを言うのだろう。f:id:gaku-diary:20230418060831j:image
既に日は高く、日差しが目に突き刺さって痛い。でも最後にガンジス川を眺めようと川沿いまで来た。バラナシに着いて今日で3日目。これまでの人生の中でも類を見ないほどの濃密な3日間だった。眼下を流れるガンジス川は相変わらず。知らない人には申し訳ないが、このガンジス川星新一の作品『おーい、でてこーい』に登場する穴のように感じた。突如現れたその穴はブラックホールのように深く、何でも飲み込む性質を持っていた。最初は困惑していた人々も次第に穴の有用性を認め、産業廃棄物や機密文書、死体などといった都合の悪いものをその穴に捨てるようになり、街は綺麗になっていく。また、ガンジス川で沐浴するとこれまでの罪が精算されると言われている。両者とも、人が自分の心内に抱えた都合の悪い事実をなかったことにできる性質を持っている。感情の掃き溜めとも言えるかもしれない。このようなスポットを必要としてしまうのは戒律の強さか、はたまた人間の弱さか。もし身の回りに罪を犯し罪悪感に耐えられないという人がいたらガンジス川での沐浴を勧めよう・・・みたいなことを、その時考えていた。現時点で誰にも言えないような罪や恥は僕の中には無い。しかし、もし将来そういったものを抱えるときが来たらまたここに行こう。来ないほうが平和的なのだろうけど、ガンジス川とはそれまでお別れだ。最後に指先でちょんちょんしてその場を去った。
大通りでリキシャを捕まえ空港まで送ってもらう。その時は頭が痛く、何食わぬ顔でボッたくるインド人にも嫌気が指していた。はっきり言うとイライラしていた。出発の5時間前に空港についた。いくら何でも早すぎると思われるだろうが、こちとら初めての1人海外旅行だ。何かあったら日本大使館にお世話になるぞ。
空港内は薄暗かった。だんだん慣れ始めていたが、インドでは昼時に照明を付けている施設はあまりなかった気がする。窓から入る日光で十分なのか節電のためなのか分からないけど、おそらく理由はとてもシンプルかつ合理的なのだろうと思った。また、屋内なのにも関わらず床にはところどころ薄く砂が散らばっている。暑いからどこかの窓が全開になっているのかもしれない。うーむ。単なる機能主義的な姿勢なのかもしれないが、結果として、中と外で世界が分けられていないように感じた。隣人の家に躊躇なく入れる田舎のような開放感と似ている。上手く言えないし色々すっ飛ばしてる気もするが、平和は個々人の小さな諦めと引き換えに成り立つものなのだろうと思った。ここで言う諦めとは税金みたいな線引されたものではなく、いつでも発生しうる隣人トラブルのようなもので、平和の種類は諦めの種類に依存してて、え〜っと・・・・・・