日記。

日々の徒然を書き留めてます。

幸せにしてやるなんて言葉

1/4(水)

1日の大半の時間、僕の脳はちゃんと機能していない。これは明らかに夜勤労働による弊害である。仕事のない時間はずっと眠いし、仕事中もずっと眠い。だから頭が明快になるのは週のうちほんの短い時間帯、2日目の休みである金曜夕方頃だろうか。やれやれ。

ボーッとした頭で過去を回想する。Mちゃんのスマホを見せてもらっていたときのこと。2 3年前、彼女はあるクズ男に引っかかっていた。そのクズ男とは縁を切ってずっと連絡を取っていなかったらしいが、どうやら最近になってホストになったらしくその営業(?)LINEが来たという。それを見してもらうと、まあ犬も食わぬようなホストによる甘ったるい嘘八百話が繰り広げられていた。こんなのになびく女本当におるんか?って感じだが、本当にいるから不思議である。おそらく彼女らはその自信に満ち溢れた振る舞いに惹かれているのだろう。なぜこうも彼らは自分に自信があるのだろうか。自分と社会への解像度が低すぎやしないかい。でもこんなに批判してるの単なるルサンチマンな気がするんだよなあ。

それはさておき、やれやれと思い眺めていると「あの時はMを幸せにしてやれる自信がなかった」という彼からのメッセージが目にとまった(こんな感じの内容だった)。この"幸せにしてやれる"が、僕にとって違和感を覚える。僕の中に眠る女が、「これってつまり、私の幸福な人生をあなたが保証してくれるってことか?仮に私があなた以外を好きになっても、それを全力でサポートしてくれるってことだよなあ!?あなたは私を幸せにすると言ったが、それはどういう工程を踏んで実現するつもりなんだ?ていうか、そのためには私にとっての幸せをあなたが理解している必要があるが、本当に理解ってんのか?私の幸せの形をお前が決めるんじゃねえ!」と、思ってしまった。うおおお、女になって幸せにするとか言ってくる男に色々言い返してえ。

少し落ち着いて、この一節を考えてみたい。率直な感想としては「あり得ない」だ。そもそも、受動的に誰かに幸せにしてもらうという考えが甘い。果たして人間はその生涯を送るにあたり、自分の幸不幸を自分以外のナニカに託すことはできるのだろうか。全くの負担を抱えずに一生誰かにおんぶに抱っこ。それでいて幸せに暮らせるなんてまさに夢のような話だ。まさに生殺与奪の権だ。幸せは能動的に自分の力で掴み取ってくれよ、と思う。

ただ、そうは言っても一から十まで単独で実現できるとは思えない。幸せというのが状態なのか心持ちなのかは分からないが、少なくともその場が平和な環境である必要があると思う(鋼の錬金術師に出てくるキンブリーみたいな戦闘狂は別として)。だから、これを踏まえて個人に対して言えることは「あなたが幸せになれる環境を確保するため、私は最善を尽くします。」くらいなのではないか。その平和の確保。すなわち自身の身勝手な感情で相手を振り回すことなく、安定した生活基盤を提供することなのではないだろうか。男女問わず、本当に一緒にいたい人に対して言えることはこれが限界だと思う。

話を敷衍して、「あなたを幸せにします」と言う人を、今度は家長、市長、果ては国家に置き換えても同じことが言えるのではないか。人によって幸福の形は変わるが、最低限の平和は必要。だから家族、市民、国民に幸せになってほしいなら、まずは幸せになれる環境を確保すること。個人の幸福に対してできることはここまでだ。後はあなたの思う幸せな道を自分の力で進んで欲しい。幸せにしてやるなんて言葉、信じるな。

なんか重箱の隅をつつくような物言いになってしまった。それに、ズバッと「幸せにします!」って言われたほうが惹かれる女の子は多そうだ。やれやれ。f:id:gaku-diary:20230106185015j:image