日記。

日々の徒然を書き留めてます。

背景

9/19(火)
通算で10回目くらいの祖父の墓参り。いつもは寺務所で花と線香を買っているのだが、そろそろ花に飽きてきた。いくら月に1回とは言え、いつまでも同じものでは目新しさがなくなり背景の一部になってしまう。鶯谷の小さな花屋に行き二千円分を購入。おっちゃんが目の前で綺麗に整えてくれた。結局従来と似た色合いになってしまったが、バックグラウンドが新しいのでまあ良しとしよう。f:id:gaku-diary:20230924081130j:image

 

一日の作業が終わった所感:

9/8(金)
夜勤警備バイト初日。週一勤務だとしても新しい職場となるとやはりソワソワしてしまう。19時半に家を出てスカスカ電車に乗る。乗り換えの駅を確認している途中、停車した駅からなかなか動かないことに気付いた。アナウンスによると人身事故が起き、再開見込みまで1時間弱かかるとのこと。仕方がないので会社の人に連絡し、指示を仰ぐ。初日からイレギュラーとはツイてない。結局近くの地下鉄駅に向かい、そこに着くまで会社の車が迎えに来れたらそのまま乗り、間に合わなかったら地下鉄で現場に向かうことになった。結果はほぼ同時に駅で落ち合い、夜の東京をドライブすることとなった。夜のビル群をビュンビュン駆け抜ける。いやあ、なんだかんだで車は楽しいね。
現場着。綺麗なオフィスビルだ。初日ということで今日だけ二人体制。ひとつひとつ案内を受けながら、社員用の休憩室で制服に着替える。服に着られるというか、僕が何着てもコスプレにしか見えないんだよな。現場監督の方と連絡先を交換し、その後は同伴者に具体的な業務の内容を説明してもらう。まずは出勤したら開ける扉と、自動ロックの解除方法。その後は職人さんの作業が終わるまで施設内を徘徊。作業が終わったら見送って、朝まで待機、とのこと。よーし、やってやろうじゃないの。と、思ったのも束の間。今日の作業が終わったらしい。え、早い。まだ23時にもなっていないのに。実労働時間は1時間ちょい。あれあれ、もしかして神職場?
一日の作業が終わった所感:本職と異なりスマホがいじり放題。休憩室に綺麗なソファがあるため待機時間も苦じゃない。建物が傷つかないように、との指示だったが作業場所が屋外であるためずっと見ているわけにもいかないし、そもそも職人さんの腰が低いためそこに関する心配は生まれなかった。てかそこら辺のホワイトワーカー爺さんのほうがよっぽど厄介。結局初日はゲーム、勉強、読書、睡眠を繰り返して夜を過ごした。なんだ、ただの神職場か・・・。f:id:gaku-diary:20230911083440j:image

まず、第一の誤算は

8/31(木)
午後4時。ようやく20時間に及ぶ警備会社の研修が終わった。研修と言っても、実態は元警察官のおっちゃんから警備業法について説明を受けるだけで認定試験などはなく、なんならほとんどが雑談に近いのでなんら負担は感じられない。これにて、晴れて僕も警備業務に携われる人間となったわけだ。そもそもなぜ僕が副業に警備業を選んだか。それはずばり”楽そう”だからだ。現職のせいで楽してお金を稼ぐことに快感を見出してしまったので、たとえ週の労働時間が8〜9時間増えようが、その間に精神的、身体的負担がないのならば喜んでこの身を捧げようじゃないか、という気持ちになってしまった。
一日の終りに僕の配属先(警備する建物)とその内容について説明を受けた。まず、第一の誤算は楽な現場ではなかったこと。なんか担当するビルが夜間工事するらしくてその間ずっと立ちっぱなしで見守るらしい。第二の誤算は、工事の作業員が手抜かりでビルを傷つけないように見張ること。おいおい、これは現場監督の仕事なんじゃねえの?もし作業中に傷ができちゃったらその責任の所在はどこにあんだよ。これ仕事する前にちゃんと確かめなきゃな・・・。上記から分かるように、今のところ身体的、精神的に負荷がかかりそうな現場である。一回やってみなくちゃ分からないが、早々に飛んでしまうかもしれん。いや、給料はしっかりもらいたいから辞める時は絶対にひとこと言っとくか。
そんなこんなで幸先良くない副業警備。僕の失敗の原因は大体リサーチ不足だが、進展しないよりかは何百倍もましなはず。これからは警備経験アリの履歴書を握りしめて座り仕事の夜勤警備を探し回るだけ。残る問題は今の職場をいつ辞めるか。よーし、やることは大体見えてきた。なんとしてでも手に入れてやるぜ、週一夜勤激楽警備アルバイト。f:id:gaku-diary:20230903012027j:image

今日はちょっと頑張りすぎてる。

8/19(土)
朝5時起床。飼い犬が耳元でワンワン吠える。2日前から両親が小旅行に出かけているので朝の散歩は僕の役目だ。実はほんの1時間前まで友人と夜の散歩をしていたため全然寝れてない。将来は田舎で牧場主となり、散歩の必要がないほど広大な土地でデカい犬を飼おう、みたいなことを妄想しながら家を出た。
エアコン代がもったいないと思いリビングで寝泊まりしていた。そのせいか上手く寝付けず、結局はお昼前にまた起きてダラダラとスマホを眺めた。
インスタントラーメンで小腹を満たし14時に家を出た。副業として考えていた警備の仕事の面接があるからだ。この数ヶ月履かなかった長ズボンと靴のせいでとても暑い。会場にたどり着く頃には頭がフラフラしていた。
こじんまりした事務所の隅っこで、おそらくその中で最も上等な椅子に座らされ面接を受けた。なぜ大学辞めたのだとか、なぜ今の会社に就職したのだとか、果ては志望動機まで、僕のことについては一切聞かれなかった。業務説明7割、雑談3割。『正直、誰でもなれる職業ですのでね』。所長とその横にいる高齢な記録係がワハハと笑った。言葉尻とは裏腹に、そこに諦めや自虐のような印象は受けなかった。かと言って鬱陶しい誇り態度はない。やるべき仕事はやって、後はダラダラ楽しもうじゃないか、と言っているようだった。うーん、居心地が良すぎるんだよなあ・・・
面接の後は祖父の墓参りへ。駅構内で花を買い電車に乗り込む。ちょっとスピだが、昨日を除き3日間連続で祖父の夢を見た。老人ホームに向かうシーン、自室で寝たきりのシーンなど、シチュエーションは毎回異なるが、”老い先短い祖父を切なく思う”というストーリーは一貫している。もしかしてお盆だから?
フラフラになりながらも、かろうじて到着。アスファルトからの熱気のせいで蝉の声すら歪んで聞こえる。手を合わせた後は寺務所に駆け込み無料のウォーターサーバーで3杯やる。寺務所なんて用のある人しか入らないけど、今年の1月以降月イチで通ってるから勝手が分かった気になってしまっている。家から持ってきた半ズボンに履き替え退出。さっきまでのうだるような暑さが嘘みたいに感じた。なんだ、半ズボンで解決できる問題だったのか。
ドトールでしばらく休憩後、大学の友人と飲みに行く。今日はちょっと頑張りすぎてる。ずっと起きて歩き回るのって疲れるんだな。でもこれくらいの負荷は体にかけるべきだとも思う。有り余る金があったら移動はすべてタクシーにして寝たい時はすぐにホテル行くような生活を送りたいが、金で負荷を取り除く行為はどんどん自分を弱くしてしまいそうで怖い。f:id:gaku-diary:20230820072409j:image

あんな旅程に付き合わせるにはいかない

8/8(火)
10月に彼女とバリ島旅行することが決定した。とても楽しみである。前々から彼女に長期休暇があることは分かっていたため、その期間にどこか旅行に行く話は出ていた。案はたくさん出ていた気もするが、流れでバリ島行きのチケットを取った。あれ、何でバリ島に決定したんだっけ。付き合い始めた理由もそうだが、今の彼女になってからアクションひとつひとつの因果があやふやなことが多々ある。「どうしても〇〇が良い」みたいな強烈な意志はどちらも示していないはずなのに、気付いたらその方向へ行動を起こしていたりする。流れの正体は未だ掴めず。
ともかく、バリ島というセレクトは素晴らしい。観光地として既に盤石な地位を獲得しているし、物価もそこまで高くない。興味のあったガムラン音楽やコーヒーもバリ島由来だということを知った。今更他の国が魅力に映ることもないだろう。
また、どうせ行くならユニークでマイナーな国が良いと思っていたが、今となってはそれも悪手に感じる。僕の中学以来の友達にインド君という人物がおり、とてもアクティブな人で大学在学中に3回も単身でインドに行くほどのバイタリティを持っている。そんな彼は当時深刻な独り身ライフを満喫しており、僕が「一緒にインド行けるような彼女作ればいいじゃん」と提言したら、彼はひとしきり唸ったあと、「恋人をあんな旅程に付き合わせるにはいかない」と言っていた。当時はその辛さも込みで楽しい恋人ライフなのではないかと思っていたが、今はその意味が少し分かる気がする。実際僕も一人海外旅行をしてみて思ったのだが、例えばキツイ局面に出くわした時は他人を気遣う余裕は無くなってくるだろうし、また、最中に生じた負担は旅程を組んだ人に集中しそうで辛いものがあるだろう。一人だから耐えられることもあるのだと知った。だいたい、スリランカの空港で12時間近く待機するなんて正気の沙汰ではない。自分一人だったらまだいいが、彼女を空港内の地べたで寝かせるわけにはいかない。せめて段ボールのひとつでも敷いてやりたい。
そう考えると不確定要素が比較的少なそうなバリ島はベストに近い。されど油断せず。準備は怠るべからず。アルカトラズ。f:id:gaku-diary:20230816073237j:image

Relationship

7/26(水)
この一週間、我が家は果物に溢れている。桃、マスカット、パッションフルーツなど、僕は食前食後関係なくテーブルにある物を右から左へと平らげている。多幸感。今まで何度か1人での生活を経験したことがあるけど、果物って意外と高いんだよね。だから僕は家に果物があるときは努めて積極的に食べるようにしている。
今となってはその真意こそ分からないが、祖父はことあるごとに誰かと関係を作りたがる人だった。ライフワークと言っても過言ではなかったろう。そんな祖父には一風変わった習慣があり、それは関係を持った人たちに定期的に果物を送る、というものだった。その習慣がいつ始まったのかは定かではないが、僕が物心ついた時には山形の果樹園の段ボールが部屋の隅に積まれていた。
さて、ここで今話したいのは祖父から果物をもらっていた人たち(ちなみに僕ら家族も含まれている)ではなく、その仕入先だったある果樹園についてだ。祖父が亡くなってからしばらくした頃、例の果樹園から電話が来た。例年だとこの時期に注文の連絡が来るのに今年はそれが無かったから不審に思ったらしい(すごい)。母が事の顛末を伝えると、後日、一枚の手紙と山盛りのフルーツが送られてきた。もちろんお金は払っていない。
贈与とは、金銭を伴わずにモノを送り与えることだ。現代では、例えばバレンタインデーのチョコレートだったり、親しい人への誕生日プレゼントのように、ギフトは楽しいものだったりする。しかしフランスの社会学者であるマルセル・モースが著した『贈与論』によると、原始社会では贈与・受け取り・返礼は義務であると捉えられていた。自発的であることが望ましい現代の贈り物価値観とは異なり、なんとも窮屈でせせこましい世界だと思った。というのも、当時は贈り物には魂が宿ると考えられていたらしい。現代の価値観に照らし合わせてみると、それは税金だったり呪物のような見方をされていたのかもしれない。ただ、送られてきたモノに対し何も返さないというのはうしろめたさを感じてしまうのは現代にも通ずる感覚だろう。
祖父と例の果樹園はあくまでも買い手と売り手だが、長い期間を経ることでそれ以上の関係になっていた。当事者の間に貨幣を挟むことで面倒くさい人間どうしのしがらみから逃れられるが、それでも祖父は繋がりを構築することを怠らなかった。時代の傾向?個人の性格?結局、母は悩んだ末に例の果樹園に手紙を一通送り、彼らの長い長いリレーションシップを完了させることに決めた。なにか、時代の移り変わりを感じさせる出来事だと思った。ちなみにこれは去年の出来事です。最近果物多いからそれで思い出しただけ・・・今回も上手くまとめられなかったなあ。f:id:gaku-diary:20230801070532j:image

とは言え、

7/18(火)
とは言え、やはり僕がかっこいいと思う人は世間の価値観に左右されず自分の指針に従うことのできる人だ。周りに自慢できるから、世間体が良いから、を理由に行動選択して、例えば都内の一等地(とされるところ)に住むことを憧れる人よりも、誰も知らないような土地に行って生活基盤を建設できる人のほうが逞しく、また唯一の価値だとも思う。前者は目指せるものであるのに対して、後者は出来る人と出来ない人で区別されるものだからだ。この時点で両者に質的な差があることは自明だ。
人間は他者との共存で生き延びてきた動物だから、どうしても脳のリソースは”自分が隣人からどう見られているか”という題に大きく割かれてしまう。生存上有利な特性だった反面、その意識に押し潰されたり、あるいは踊らされたりする人がいることも事実だ。隣人、ひいては世間の価値観は常につきまとってくる。
から、世間の価値観に左右されないのは1人になっても生き抜く覚悟であり、同時に自己の輪郭を保つことを意味する。少し話が飛躍するようだが、もし世界が食糧難になったら隣人を◯してでも生きようとすることができるだろうか。ここで、◯す前に交渉して関係構築を試みることを、僕は自立という言葉で表現したい。同じ目線で交渉し社会で生活すること。その際に必要なのは自分の指針だ。
ヘコヘコと見て呉れを整えて誰かが作った既存のモノを拝借するより、自分の価値観、自分の言葉を元に飯を食いたいものだ。雑居ビルのトレーニングジムで鍛えた筋肉より、田畑を切り開いて得た肉体のほうが遥かに美しい・・・・・ということを『都心!一等地!』を謳ってPRしている不動産業者のYouTube広告を見て思った。うるせーー!!知らねーー!!f:id:gaku-diary:20230719024647j:image