日記。

日々の徒然を書き留めてます。

起こることは全て、既に決定している。

1/15(日)
この世に生を受けて24年。まだ24年?もう24年?コップに半分満たされた水と同じで、状況の見方は人それぞれ。これまで生きてきて、基本的には安全圏でのほほんと過ごしてきたが、10代の後半から4〜5年は生き方について頭を抱えることが多かった。その期間は泥の中をもがくように毎日を過ごしており、「ハッ!〇〇に違いない!」とその通りに行動しては失敗する、ということを繰り返していた。ただ最近は、あらゆる事物にも左右されず、精神を安定させて生活することができている。紆余曲折を経て、自分の中に人生の指針ができたようだ。それをあえて名付けるなら『人生ビリヤード説』だ。
詳しく説明する前に、この説に思い至った経緯を話したい。まあ、言ってしまえば僕は前々から自分の現状に嘆いていた。大学を中退したことだけではなく、性格や社会的立場など。スマホ画面の向こうにいるような輝かしい人物になぜ僕はなれていないのだろうか。彼らと僕の違いは何だろうか。幸か不幸か、僕は自分と人を比べることが得意だったもんだから、それだけ苦しむことも多かった。しばらくして読書が習慣づいた頃には、『人生、遺伝子で全て決定する説』や『生まれた環境が全て説』など、自分の力ではどうしようもできないところで力が働いている、と思うようになってきた。そんな折、祖父が急死した。泣いてる途中なのに、非情な現実が無理やり腹の中に入ってきた。死因は大動脈解離。定期的に病院に通っていれば事前に防げたかもしれない。母は「無理やりにでも病院に連れていけばよかった」と嘆いていたが、のちのち祖父の日記を読み返すと定期検診をサボっていたり、人間ドックをドタキャンする内容が書かれてあった。病院嫌いだったのだ。
もし〜だったら?と考えれば祖父の命日はいくらか引き延ばせるが、そんなことをしてもしょうがないと思った。大事なのは、なぜ〜だったのか?を突き詰めることだ。ただ、この因果を特定しようとする試みで満足いく結果になったことがない(下記事参照)。結局は自分の手ではどうしようもないところに端を発すのだ。

gaku-diary.hatenablog.com以上を踏まえて、物事の因果について考えていきたい・・・・・・疲れた。また別の機会に詳しく話すわ。
最終的に言いたいこと↓
・人間の意志力、のようなものは存在しない。これまでの経験、環境で選択肢は絞られる。
・ビリヤード台の上で動く無数のボールを想像してほしい。それらは質量も体積もまちまちで、あなたはそのうちのどれか1つ。その他のボールは人間かもしれないし、何かの本かもしれないし、どこかの景色かもしれない。今、あなたはある方向へ向かっている。しかし横から突然『資本論マルクス)』というボールがあなたにぶつかってきた。当然あなたの向かう方向、速度は変わる。人生はこれの繰り返し。
・物体同士の運動であるから、効果的な予測は近い範囲に限って充分可能(運動量保存則)。しかし、全てを把握するには加味する要素があまりにも膨大なため不可能。ただ、未来に物体がどのような運動をするかは既に決まっていることは確か。
結論:これから起こる全てのことは予測不可能なだけで、実は既に決定している。どんな結果になろうとも、それはどうしようもできなかったこと。

ボールとボールがぶつかるように物事は動いていく。では一番最初のボールは一体いつ動いたというのか。それこそ、138億年前のビッグバンが起こった瞬間からだと考えていいのかもしれない。つまり、宇宙の誕生から終焉まで何が起こるかは予め、全て決まっている。さっきインド旅行のチケットを購入したのも、今夜Mちゃんに告白することも、全て決まっていたことだ。f:id:gaku-diary:20230118074918j:image