日記。

日々の徒然を書き留めてます。

俺史①(誕生〜小学校卒業)

11/21(月)
ちょっと壮大な日記になるかもしれない。いや、もはや日記じゃないな。僕のたどった人生を年表みたいに表してみようと思う。過去の自分を文字を使って表現すると、解釈の幅が狭くなって今後生きづらくなる気はする。しかしこの作業はどこかでやらなければならないと思っていた。おっさん、今がその時なんだよ。

1999年1月
埼玉県某所にて爆誕。愛情過多の母、感情の読めない父、1つ年上の兄の社会集団に参加。右も左も乳首の場所もわからない。母曰く、一日中寝てるような子だったらしい。

2001年7月
宮城県にて妹爆誕。3年間の末っ子生活ともおさらば。社会の一員という感覚を覚える。

2002年4月〜2005年3月(幼稚園生)
埼玉県某所の幼稚園に入園&卒園。この時期の母はまだ教育熱心だったためモンテッソーリ教育を掲げているキリスト教系の幼稚園へ。いいトコの坊っちゃん嬢ちゃんに囲まれて過ごす。一番熱い鉄のときに一日中裁縫系のおもちゃで遊んでいた。
親友の男の子ができ、特定の誰かと”親密”な関係になることを経験する。彼とは対な存在でありたいと思い(ロールの意識)、彼がサルと呼称されていたことから、僕はゴリラであると自称。数年後に卒園冊子を手に取り中身を覗くと、僕の将来の夢が電車の運転手だったのに対し彼の夢がサルだったことが発覚。所詮、僕はニセモノだったのだ。

モンテッソーリ教育とはどんなもの?教育の特徴と5つの分野を解説!|ベネッセ教育情報サイト


2005年4月〜2006年3月(小1)
愛知県にて小学1年生を過ごす。それまで意識高い系の教育を受けてきたので現地の子供の粗暴さに驚かされた。ぼーっとした性格、引っ越してきたよそ者、というのもあって普通にいじめられる。このときに人の顔色を伺うスキルを取得し、ピエロになりきって乗り切った。幸か不幸かこれが結構得意で、最終的には僕をいじめてきたボスと、僕が引っ越す日の当日午前中にまで遊ぶ仲になる。今だから言うけどお前、別にお前が好きで遊んでいたわけじゃなくて、怖かったからまたいじめられないために遊んでいただけだからな。

2006年4月〜10月(小2)
また引っ越し。今度は北海道で小学2年生を半年だけ。せっかく築き上げた人間関係も親の都合で簡単に破綻するので、どこかに根っこを張ることを恐れるようになる→社会との一体化に乗り気になれない。だからスポーツ観戦とかに熱くなれないのかな。今サッカーやってるぽいけど本当にどうでもいい。
例によってまたいじめにあう。今度はピエロになりきるのではなく、友達を(本当に誰でも良かった)作ることによっていじめを回避。ヒト社会の中ではたらく力学を体で覚え始める。また、この経験から”自分と一緒にいれる人間は選べない”との意識が強まり、敵味方なく全員に公平に接する”ノーサイド”の精神が育まれる。この時期、社会と接続した”正しい行動”は内面にない。正義のことね。

2006年10月〜2010年3月(小2〜小5)
埼玉県、母親の実家近くに移住。祖父母とほぼ毎日接するようになる。小学2年生の2学期半ばという中途半端に転校。ここでは1回もいじめられなくて驚いた。これまでと比べ都市部に近い小学校だったからか、”他者への興味度”が相対的に低かったのかもしれない。
この小学2年〜小学5年の期間、特筆すべき大きなイベントは特になかった気がする。性に目覚めたこと、自分が比較的モテること、まつ毛と眉毛の違い、くらいなものか。あ、ちなみに今でも付き合いのある友人はこの期間に知り合った。

2010年4月〜2011年3月(小6)
小学6年生、噂だった超熱血系教師が担任になる。これまでは影の薄さを生かして怒られないために振る舞っていたが、彼には通用しないと悟った。逃げられない。ピエロになりきって彼の攻撃対象から外れようと防衛本能が働いた。それにしても、怒られないために神経を注ぐ小学校時代の僕はさぞかし扱いやすい生徒だっただと思う。我慢の1年だ、と腹を括ったがミイラ取りがミイラになるように、ピエロを演じているうちに僕は本当に熱血教師が望んでいたバカ真面目な全体主義者になってしまった。正義の概念が体内に芽生えたが、これは教師の言うことを無批判に復唱してただけだ(二十歳超えてもこの性質が治んなかった奴は今頃マスク警察とかやってるんだろうな〜)。本当子供って洗脳しやすいんだね。この性質を残したまま中学へ入学することとなる。f:id:gaku-diary:20221124072223j:image